連載第2回 WBCチェコチーム奮戦記

連載第2回 WBCチェコチーム奮戦記

★チェコ野球はいつから?

2023年8月に再来日のハジム監督。「根性」のハチマキ姿も凛々しく、次回の抱負を語ってくれた
2023年8月に再来日のハジム監督。「根性」のハチマキ姿も凛々しく、
次回の抱負を語ってくれた

 日本に野球が入ったのが1873年(明治6年)、アメリカ人教師による、という記録は、はっきりしている。それではチェコに野球が入ったのはいつなのか?と調べてみました。第一次世界大戦後というのはどの記録も同じでしたが、諸説あるのです。一番有力なのが、1920年。やはりアメリカ人教師により、ピルゼンで初めて野球が教えられたというもの。その他、1930年説などありますが、確実なのは第二次世界大戦後の共産主義社会になってからは、野球界の暗黒時代だったということでしょう。何しろチェコは、ソ連圏の国だったのですから。敵国アメリカのスポーツは当然日の目を見ることはないはずです。隅っこの方で細々とつないでいくしかなかったのです。

 日本でも、第二次世界大戦時には、野球は敵国アメリカのスポーツであるからと、英語を使うのを禁じられました。例えば「ストライク」は「よし、正球」、「ボール」は「ダメ、悪球」、「ア 日本に野球が入ったのが1873年(明治6年)、アメリカ人教師による、という記録は、はっきりしている。それではチェコに野球が入ったのはいつなのか? とト」は「引け、無為」「ファウルは圏外」といった具合です。今では漫才ネタですが、当時の野球界は存続に必至だったのでしょう。涙ぐましい努力の跡が伝わってきます。

チェコでの野球は、まだマイナーなスポーツ。 ルールの説明も大切なのです!
チェコでの野球は、まだマイナーなスポーツ。
ルールの説明も大切なのです!

 チェコ野球は、それでも1947年にほそぼそと再開しました。1979年には、初めての西側国のオランダへ遠征試合に出かけています。この間、チェコの野球者たちは政治の冷たい風には頭を低くして、再起到来の時を待っていたのです。野球を絶やさないために。これも、思わず「頑張れ、チェコ野球!」と叫びたくなる時期でした。そして、この状況の時期こそ“苦難を忍耐でやり過ごし、やがて必ずはねのけよう”という、チェコ人魂・国民性が発揮されたのです。

 やがて1989年の「ビロード革命」で民主化が達成されるや否や、チェコスロバキア(当時)は欧州野球連盟に加入しました。さらに、チェコとスロバキアが分離独立した1993年には、チェコでエクストラ・リーガが創設され、社会人野球の8チームが現在も覇を競っているのです。
 ハジム監督によると「はじめは野球道具は何もなかった。ボール、グラブ、バット・・・グランドと一つずつそろえていき、苦労は絶えることがなかった」とか。それがいつの頃かは聞きそびれましたが、敵国の野球を続けることには、かなりの苦労があったのだろうと推測されます。おもしろいことに、チェコ野球では首都のプラハよりも第2の都市であるブルノの方が盛んです。実力もブルノの方が上のようです。エクストラ・リーガに所属するチームも、ブルノが3チーム、プラハが2チーム、 その他の都市は1チームずつです。

WBC戦を控えて東京のチェコ大使館での記者会見に臨んだ シュナイデル投手(左)とジーマ主将(右)
WBC戦を控えて東京のチェコ大使館での記者会見に臨んだシュナイデル投手(左)と
ジーマ主将(右)

 毎年優勝回数を見ても、ドラチー・ブルノが1995年~2021年の間に22回、フロシュイ・ブルノが9回、アルトニス・プラハが5回と、ブルノのチームの優勝回数が断然多いのです。ブルノとプラハは、日本で言えば大阪と東京のようなライバル意識が旺盛で、ブルノの健闘が目立ちます。

 それでは、チェコ野球チームがこれまでのWBC欧州予選をどのようにして戦ってきて、今年2023年のWBC欧州予選をどのようにして勝ち抜いたのか? 連載第3回では、いよいよその実績を見ることにしましょう。


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